微妙な流れの変化を正しく読んでいるだろうか?
体重が増える理由は運動量と比して摂取量が多いからだ。あたりまえ?いや、脂質と糖分に関する現在進行中の論争を見るに、あたりまえとも言いきれないようだ。
長年にわたり脂質は健康に悪いと考えられてきた。脂質は肥満の原因であり、だから低脂肪の食物が身体に良いという理屈だ。しかしながら「脂質は悪」という現代社会の教義は、現在広くその真偽を問われている。脂質に替わって、糖質をはじめとする炭水化物こそが悪しきものであり、肥満の原因となる毒をなす食物成分と見做されるようになった。
揚げ物を避けて健康に、というやつだ。問題は、脂質は食べ物の味を整える、という点。もし脂質をやめるなら、何か代わりを見つけなくてはならない。というわけで糖質の出番だ。
ところが一方で、糖尿病患者は増加している。医者や医療関係者によると、2型の糖尿病は、気がついた時には大流行と呼べる状況だという。
どうすべきだろうか?個人的には、兎にも角にも運動することと考えている。運動した上で食べたり飲んだりするのであれば、そもそもそれらは必要なことだろう。控えめな運動ですら定期的におこなっている人は少ない。人口一人あたりの摂取カロリー量は第2次世界大戦以来増えていないが、逆に消費カロリーは激減している。運動量についてもまた然り。
これらの考察を通して浮かび上がってくるのは、日々の生活のなかで情報は絶えず変化してゆくこと、そして、その中で何が大事で何がそうでないかに常に向かわなくてはならない、ということだ。驚くべきことでもあるまい。仏陀は、無常のみが唯一不変の真実であると説いた。西洋社会の不幸は、何かが定常的に存在し続けてゆかなくてはならない、という思想に由来している。
覚悟をもってそのような思想から離れよ。
交渉者である我々が常に自問すべきは、前回の論議から何が変化したのか、だ。自分のパワーは増えたのだろうか減ったのだろうか。新たに持ち込まれた誘因や脅威があるだろうか?社内、社外について、自分たちが向き合わねばならないダイナミクスや優先順位はどう変わったのか?マーケットには変化はあったのか?その中でどこを居場所とすべきか?
これらほんの些細な事柄を通して、自分のポジションに微妙な含みをもたせたり良い場所に移ることが出来る。このような微妙さを適切に計画して進めてゆけば、多少の脂質が入った美味な取引になるのか、何も残さないつまらない取引かの違いに結びついてゆくだろう。
原文: What Now
筆者について:
アラン・スミス
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